プレイレポート

Wikiは見る専でしたが、皆様に少しでも還元できるものがあればと思い、投稿させていただきました。
お見苦しいところがあればご容赦ください。

概要

信長の野望シリーズのの縛りプレイの代名詞とも言える一条家でプレイします。
初期の官位が高いため初期資金が多いこと、土居宋珊という有能部将がいるのが特徴です。

シナリオ開始前の状況

設定

超級、寿命史実、架空姫出生有、歴史イベント有

初期状況

従三位という高い官位を初期から持つため、初期資金は約5万貫。
西土佐中村御所に兵3750名を擁し、同盟は大友家と東土佐の安芸家。
隣接する非同盟国は北の西園寺家と東の長宗我部家。
家臣構成は、家老土居宗珊以下5名だが、宗珊以外は特に目立った能力値を持つ家臣はいない。

ゲーム開始前に建てた戦略

大友との同盟は堅持。
中土佐岡豊城の長宗我部一族と伊予黒瀬城の土居一族を確保したい。
三好以外の四国勢力を平定してから本拠地を移転し、内政後に毛利家または三好家との決戦を行う。

シナリオ開始

最序盤

まずは代官設定されていない武将がいるので、代官枠を埋める。
安芸家と40まで信用度を上げるべく、外交を行う。

そして、開始と同時に長宗我部領へ部隊数を2にして出陣する。
初手長宗我部へ侵攻する理由は、現在の兵数差は一条家3750VS長宗我部家2500とほぼ1.5倍だが、放置するとどんどんその割合が縮まってしまうためだ。
部隊の構成としては、メインアタッカーの土居宋珊に多めの兵力をつけてるが、大名である一条兼定の初期武勇は23と下手したら城代のほうが高いため、1人か2人補佐を付ける。

長宗我部の本拠岡豊城につくまでに1回合戦を行うが、1.5倍の兵力で挟撃しているにも関わらず敵味方同数ずつ兵力が削れていく恐ろしい状況だ。
そして土佐の城間の距離も敵であり、長宗我部領の西半分を削り、城にタッチするころには兵糧は40日分程度しか残っていない。
帰還しようとすると、追いかけるように出陣してくるため、これも撃破する。
兵に余力があれば長宗我部を吸収したいが、こちらもほぼ壊滅状態であり城耐久4500を削りきることができないため、長宗我部とはしばらくにらみ合い状態を維持することとなる。

序盤(西四国統一編)

上位集落のある領地を優先的に掌握しつつ、兵力の自動回復を待つ。
また、安芸家との信用度が40以上になったら、外交先を大友家に切り替え、同じく40まで上げる。
しかし、この状態で長宗我部家と戦をしても、残念ながら勝てないため、一度伊予の西園寺家を吸収しよう。
大友家の援軍があれば、国衆2千を加えたとしても烏合の衆にすぎない。

西園寺家はおおむね60~80程度の能力値の武将が5人ほどいるため、だいたい30~50の能力値しかない一条家家臣団と比較するととても優秀である。
吸収後も元大名の西園寺実充に黒瀬城を納めてもらいつつ、宋珊以外の旧一条家家臣団を黒瀬城の領主として与力とする。
旧西園寺家の武将は代官として内政を続行する。

伊予の国衆の兵力2千が回復したら、安芸家の援軍を得つつ長宗我部家を滅ぼす。
長宗我部の旧本拠である岡豊城には家老土居宗珊を配置した。

長宗我部元親は加入後、忠誠が4しかないので、八等級家宝を与えつつ敵の調略の手が伸びない本拠地で代官として勲功を稼がせる。
勲功稼ぎの感状で忠誠度を上げることも目的だが、現段階では部将以上が大名兼定と家老宋珊しかいないためLv3政策を発動することができない。
誰かを部将にするまで功績を集める必要があったのだ。
分割出撃によりこちらの部隊数を5以上にして、合戦会場を中マップ以上にすることにより、勲功を集めやすくしたい。

さて、2城を落としたところで今後の主敵を毛利にするか三好にするか、ここが分水嶺だ。
本当は四国を統一し、内政の底上げを図るべく三好家と決戦を行いたかったのだが、
史実シナリオだと当面の間近畿で大きな動きがないためすべての兵力がこちらを攻めかねないこと、
毛利家がこちらを嫌っており外交コストが高くつくこと、毛利家がまだそこまで大きくなっておらず敵の兵力分散が期待できることから今回は三好家と手を結び、毛利家を主敵とした。

まずは、三好の信用度をあげ、同盟を結べるまで信用度があがったら、本山家とちょうど同盟が切れた安芸家を併合する……と言いたいのだが、
残念ながら片方を滅亡させるともう片方は三好に従属するので、両方を滅ぼすことはできない。そのため、片方を滅ぼしたらすぐにもう片方を従属させる必要がある。
本レポートでは岡豊城の盾として城が欲しかったので安芸家を滅ぼし、本山家を従属させたが、城の位置関係と武将の数 (本山家5.安芸家2)を鑑みれば、本山家を滅ばしたほうがよかったかもしれない。

さて、四国に残る敵は河野家のみだが、これも下手に攻撃すると、三好に従属しかねない。そのため、東の川之江城から奪取し、
三好との接触を断ち従属させないようにする。その後、勝端城を奪取し、土佐伊予の2国の平定が完了した。
中村御所の開発用地をいい感じに調整したら、勝端城へ本拠地を移し、対毛利戦に備えよう。
移転により初期資金をほぼ使い切った上、収入もかなり乏しいが、制度改新★3と裁量権委任★1の政策を有効にして、内政フェーズの開始だ。

中盤(毛利&三好滅亡編)

資金が本当に厳しいので、合戦系の奉行を採用する余裕がない。
旧一条家臣の窪川俊光が部将に昇格し、裁量権委任の費用低下をもっていたので、奉行に採用する。
効果としては月166貫ほどなので一時しのぎのつもりだったが、中盤はずっと資金がギリギリだったため、中盤の間ずっと奉行に採用し続けることとなった。

毛利家の様子を伺いつつ、勝端城で内政を行う、さすがに毛利全軍を相手にするのは厳しいので、
毛利の主力が尼子か大内を攻めに行った時に空き巣を狙いたい。
そしてゲーム開始から6年、毛利家の東半分の支配領域で兵がいなくなった。
こちらも全ての郡の開発が終了したわけではないが、好機は逃せない。
土佐岡豊城の土居宋珊、中村御所の長宗我部元親を主力に、高能力な伊予の国衆5千など、4万余の兵力を集め侵攻を開始した。
敵も3万8千の兵力で迎え撃つが、高能力武将に多くの兵力をつけていなかったため、合戦で勝利することができた。

最初の侵攻で2城を奪取し、以降は徐々に支配領域を拡大していく。
残り1城で耐えていた尼子は従属させ、順調だなぁと考えていた。……考えていたのだ。

西の盾大友家、まさかの敗走。島津家と国境を接する。
慌てて大友との同盟更新を中止し、島津家との親交を開始した。が、間に合わず。
島津家の侵攻をうける。
急ぎ毛利方面への侵攻軍の主力を帰城させ、侵攻対象となった黒瀬城を防衛拠点へと変更、井楼持ちの武将を領主とし、泥縄で準備をする。
黒瀬城での防衛戦も覚悟したが、敵は黒瀬城の攻城開始をためらってる様子。
それであれば、その間に兵力を集中することとし、上陸軍との合戦で勝利を収めた。
その後、敵第2陣侵攻準備の報が入るが、こちらから逆侵攻をかける、臼杵城の一郡を奪ったところで停戦交渉をかける。
敵の郡を奪っていなければ、同盟を破棄しろだの傘下に入れだの無理難題を言ってくるが、敵の郡を奪っていれば優先的に郡の返却を
求めてくることが多いのだ。結局、停戦+郡の返却+家宝譲渡で18か月の停戦と相成った。残った大友、大内はともに従属させつつ、
この停戦期間で島津家の信用度を上げて同盟を結び、後方の安全を確保することに成功した。

さて、後方の安全を確保したところで、東に目を向けたい。畿内方面は織田家が抑えているが、これと正面からぶつかるのは時期尚早である。
三好家と織田家がやりあってる間に、三好家との同盟の更新を止め、織田家の信用を上げる。そして、織田家と同盟を結べるようになるまで待って毛利家を滅ぼし、
その後同盟が切れ織田家との戦いで消耗した三好家を滅亡させた。
ようやく家宰を採用できる余裕ができたため、土居宋珊(忠誠+3:兵糧収入ー50%)、
大友宗麟(商業+50:石高ー20)、大内義長(領内行動+12%:部隊能力-5)を任命し、奉行も拡充更新し内政フェーズにはいった。
ここまでゲーム開始から14年が経過した。

なお、現在の盤面としては、
四国は当家が統一
中国地方はおおむね当家が抑えているものの、当家の傘下の尼子、浦上、大内が数城を残しており、播磨4城は織田が抑えている。
九州は島津が大半を抑えているものの、豊前を中心に4城を大友が抑えている。
一方で東は織田傘下の浅井が北近江に残るものの、加賀~美濃~尾張までが織田の領土だ。
以東は武田、今川、北条、上杉などが残っており、東北は群雄割拠が続いているといった状態である。

終盤(織田決戦編)

ゲーム開始から16年半、
単純に当家と織田家で比較すると、ほぼ2地方を手中にしている当家と1地方余を支配している織田家ということになる。
島津家方面に進むと、織田家が武田家を吸収して手が付けられなくなるため、侵攻先は織田家一択だ。
であれば数に任せて攻めつぶせばいい……と思っていたころが私にもあったのだ。

同数であれば必ず負け、こちらに倍の兵力がいても負ける。しかも天下布武の効果で軍を動かすのが速いときた。
合戦を使えばさすがに勝てるが、合戦以外のとこで徐々に兵力と兵糧をを摺りつぶされ、大名部隊も帰城を余儀なくされる。
幸いにも中国地方の4城を得ることができたタイミングで、島津家との同盟がきれた、
他の大名と同盟を結んだままだと、同盟破棄を求められるケースが多いが、停戦状態であれば領土返還等でなんとかなることが多い。
今回も落ちそうな自軍の城と相手の城に属する領地を差し出すことで、何とか停戦を受理してもらえた。
開戦からおおよそ1年、今回の戦果は中国地方統一と、黒田官兵衛の首級ということろである。

そして時は流れ、ゲーム開始から21年、再び織田家との決戦の時がやってきた。
前回は軍を分散したことで各個撃破されたため、今回は1方面に集中して兵を出し、陽動などせず敵が集中するように仕向けた。
味方11部隊に対し敵17部隊であったが、こちらのほうが1部隊あたりの兵力は多く、一線級部隊のみを充てられたので、
合戦で危うげなく勝利を収めることができ、威風大を獲得した。
その後7~8城を落とす。今回の目的は三職就任であるため、織田家人材は登用を拒否すれば首を刎ねていく、
織田信忠の首を刎ねたり、長篠ムービーが流れたりする中で、敵の動揺が収まるタイミングを見計らう。
そして、動揺が収まったタイミングで大名部隊を中心とした大軍を進攻させ、再度の威風大を引き起こした。2回の大合戦に敗れた織田にもはや抗する力はない。
いつの間にか織田家の背後には北条が大勢力となっていたため、信用を上げていつでも同盟を結べるようにしておきつつ、織田家を滅ぼしにかかる。
やがて、さらに1度の合戦による威風大を経て、織田家は滅亡へと至った。

さて、後は消化試合だ。北条との同盟は維持しつつ、島津家との同盟が自然消滅となるのを待ち侵攻、半分ほど島津領を塗り替えたところで太政大臣就任の打診が来て、ゲーム終了である。
ゲーム開始から29年9か月、ついに一条家による天下統一と相成った。

感想

一番の印象は金欠です。ゲーム開始時に5万貫を持っているとはいえ、外交と初期開発と本拠地移転で自由に使えるお金はほぼなかった。金欠は長らく付きまとい、毛利を半壊させる頃までほぼ政策を発令できないくらいお金がありませんでした。
予想外に働いてくれたのが、松永久秀と村上一族。
松永久秀は高知力による混乱の連発が協力で何度も窮地を救われました。家臣になったのは三好家吸収後でしたが、非常に使い勝手がよいため、印象に残りました。
村上武吉を始めとした村上一族は、毛利との決戦前は城主より優秀な国衆としてよく戦ってくれました。また、全員が工作兵陣所を使えるため、中盤以降は防衛要員として重宝しました。 最後に、ここまで長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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